新たに即位した闇の王は、やや機嫌が悪かった。
共に祝宴を囲もうと考えていた巫女達が、何かと理由をつけてその誘いを断ったからである。 別に、客人に酌をさせようと思ったわけではなく、ただ単に喜びを分かち合いたかったのだ。 どこで誤解されてしまったのだろうか。 ベヌスは自らの行動をかえりみるが、とんと見当がつかない。「どうした? 主賓がその様子では、我々が楽しむのが申し訳ないと思うではないか」 不意に声をかけられて、ベヌスはゆっくりと振り返る。 と、そこには他でもなく遠方からはるばるやって来た無二の友人にして光の神、エルト・ディーワがいつの間にかたたずんでいた。 武人である自分が、背後に立たれて全く気が付かないとは何たることか。 ここが戦場であれば、間違いなく……。 そこまで考えが及んで、ベヌスはふと疑問に思った。 そこにいたのは、親友だ。 それにここはめでたい宴の席だ。 にも関わらず、なぜ戦場の事など思い浮かべたのだろうか。 そんなべヌスの内心の混乱を感じ取ったのだろうか、ディーワはわずかに首をかしげて見せた。「……どこか、悪いのか? それとも、明日からの実務を考えると憂鬱か? 」 そう冗談めかして言うディーワ。 ここは真実を語るよりも、話に乗ったほうが得策か。 そう判断したベヌスは、吐息をつき苦笑を浮かべる。「まったく、実際民を治め導くなど、とんと見当もつかぬ。物理的に人里を脅かす獣や魔物を相手にする方が楽だ」「当面は月影も外に出ることはなさそうだな」 どうやら、ディーワはべヌスの言葉に違和感を感じなかったようだ。 ごく自然に出てきたと思しき合いの手に、心中(しんちゅう)で安堵しながらベヌスは続ける。「かわいそうだが、致し方あるまい。全ては国民(くにたみ)のためだ」「……じゃあ、主様は光神様と戦う決心をしたんですか?」 軍議を終えたノクトはすぐさま神殿を訪れ、事の仔細を闇の巫女や神官達に告げる。 話が終わると、さすがのマルモも色を失い信じられないとでも言うように声をあげた。 その他の面々も、不安げに互いに顔を見合わせる。「何とか回避できないんですか?」「何を言うんだ。それじゃあ亡くなられたサラ様の無念が……」 賛否両論、口々に語り合う面々を眺めやるノクトではあったが、その中にアウロラの姿が無いことを疑問に思い、マルモをかえりみる。 その視線に気付いたマルモは、わずかに肩をすくめた。「相変わらず伏せって泣いてるんですよ。……こんな事が知れたら、あの子はますます自分を責めるでしょう」「だが、いつまでも隠しとおす訳にもいくまい。……すまないが、案内してはくれないか?」 それに、皆に伝えよというのが兄上からの命令だ。 そう言うノクトに、マルモは折れた。 わかりました、と吐息を漏らすと、マルモは立ち上がりノクトを居住区域へと案内した。 ※ 寝台に腰をおろすアウロラの頬には、涙の跡が残っている。 このようなみっともない格好で申し訳ございません、そう言い頭を下げると、膝の上に組まれた手の上にぱたぱたと涙がこぼれ落ちる。 果たしてこのような状態のアウロラに話すべきではないと流石にノクトも思った。 けれど、先に口を開いたのはアウロラの方だった。「……やはり、争いが始まってしまったのですか?」 心を読まれたような思いにとらわれ返すべき言葉を失って、ノクトは押し黙る。 一方のアウロラは、目を伏せたままではあるがはっきりとした口調で続ける。「無理と無礼を承知でお願い申し上げます。陛下にご面会できま
「……妙な話だな」 マルモから話を聞いたべヌスは、思わず顔を眉根を寄せる。 行方しれずとなっている調和者が自領の、しかも一介の巫女のもとに発現したのだから無理もない。 しかも、不吉な言葉を残して消え去ったなど、にわかに信じがたかった。 けれど、あのアウロラが嘘をつくはずがないことは、べヌスが一番良く知っている。 しかし。 ノクトは言い難い表情を浮かべ、マルモを見やり、一方のマルモはきまり悪そうに視線を逸らしている。 両者の間で、何かあった。 瞬間的にそう察したべヌスは、鹿爪らしい表情を浮かべ、一つ咳払いをしてから、ノクト、そしてマルモを順に見やった。 「な、何です?」 「どうかなさいましたか、兄上?」 マルモは大きく目を見開きながら、ノクトは落ち着き無く瞬きをしながらべヌスに問う。 嫌な沈黙が流れること、しばし。 先に音を上げたのは、マルモの方だった。 「……だめですね。あたしは主様にそんな目で見られちゃ、ヘビに睨まれたカエルですよ」 降参します、そう言ってマルモは大きく息をつく。 それから、即位式の折アウロラが見たという恐ろしい光景のことをべヌスに告げた。 卓に頬杖をついて聞き入っていたべヌスだが、聞き終えて思わず首をかしげる。 「仔細はわかった。だが一体どういうことだ? 吾と光神は無二の親友。争いなど起きようはずもない」 「私もそう思います。ですが、この度の調和者の言葉といい……」 ノクトの言うとおりである。 アウロラの幻視と調和者の言葉。 偶然にしては辻褄があいすぎている。 ここは念の為、出城の人員を増やして護りを固めてはどうか。 意を決したノクトがそう切り出そうとした、まさにその時だった。 ばたばたというけたたましい足音と共に、数名の武人がなだれ込むように執務室へと駆け込んできた。 「何事だ?」 気分を害するでもなく、べヌスはそ
光の領域で非情な決断がくだされたのとほぼ同じ頃。 アウロラは一人、いつものように神殿で闇に祈りを捧げていた。 ふと、自分以外の気配を感じて彼女は顔を上げる。 珍しくマルモがやってきたのかと思い、呼びかけようとしたその時、聞こえてきたのは場違いな幼い少女の泣き声だった。「……誰?」 思わずアウロラは立ち上がる。 闇の中で、前後そして左右を見やる。 最初かすかにすすり泣くようだったその声は、次第にはっきりしてくる。 しかし神殿の入口には衛兵が張り付いているので、子どもと言えども忍び込むのは不可能だ。 では、一体この声はどこから……。 その時、彼女の目前でぽうと光が灯り像を結ぶ。 そこに現れたのは、うずくまり泣きじゃくる一人の少女だった。 淡い茶色の髪から察するに、闇の領域の住人ではないのは明らかだ。「何故? あなたは一体……」 驚いて、アウロラは声を上げる。 それに応じるように、少女は顔を上げた。 尖った耳は、長命種の証。 そして少女は涙に濡れたすみれ色の瞳でアウロラを見つめた。 その可憐さに言葉を失うアウロラ。 一方少女は彼女を認めると、目を伏せ小さな声でこう告げた。「闇の巫女……申し訳ありません。私は、『私』を止めることができなかった」 謎めいた言葉に、アウロラは息を飲む。 それを意に介することなく、少女はさらに続けた。「このままではこの世界は壊れてしまう。勝手なこととはわかっています。でも、お願い。どうか……」「待ってください。一体どういうことですか? あなたは……」 アウロラの問いかけに、少女は目を閉じ頭を垂れる。 同時に純白の翼が少女の背中から現れた。 驚いたよ
粉々になった水の結晶を見やりながら、ディーワは苦笑を浮かべる。 ……友人殿は相変わらず無鉄砲だな。 そんなことをぼんやりと考えていた時だった。 突如突風が吹き込むと同時に、幼い少女の嘲笑うかのような声が聞こえてきた。 「相変わらず光神様はおめでたい事。まさかあの言葉をそのまま信じてしまうなんて……」 何事かとディーワは振り返る。 と、そこにはいつの間にか一人の少女が立っていた。 彼と同様に長くとがった耳を持っていることから、長命種であることは明らかだ。 しかし、何よりも異質だったのはその背に黒い巨大な翼を持っていることだった。 厳重な警備と、幾重にも渡る結界が張り巡らされているのに何故。 そんなディーワの内心を読んだのか、少女は再び笑った。 「何でそんな目で私を見るの? 一緒にこの世界を支える存在だというのに」 「……では、そなたがアルタミラだと言うのか?」 けれど、ディーワはその言葉をにわかに信じることはできなかった。 その少女からは、『全ての調和者』らしからぬ禍々しい気を感じたからだ。 「……信じられない、という顔をしているわね」 そう言うと、少女はディーワに向かい歩み寄る。 あわてて立ち上がり近侍を呼ぼうとするのだが、その身体は凍りついたように動かない。 少女のすみれ色の瞳が、ディーワを捉える。 細い指先が、彼の銀髪を弄ぶ。 無邪気な微笑みを浮かべながら、アルタミラと名乗った少女は言った。 「全ては、偶然ではなくて必然。この世界は在るべき方向に向かっている。お利口なあなたならば、どうすればいいかわかるでしょう? 」 アルタミラは上目遣いにディーワの顔をのぞき込む。 その仕草からは、幼い外見からは似つかわしくない色香を感じさせる。 「もう我慢するのはおやめなさい。お友達みたいに、心の命じるままに生きればいいのよ」 言いながら少女はにっこりと笑う。
「いくつか、お尋ねしたいことがございます」 件(くだん)の神殿での話し合いが行われた翌日、いつものように執務室でべヌスを手伝っていたノクトは、その手を止めておもむろに口を開いた。 生真面目なノクトが執務の手を止めるなど、余程のことなのだろう。 そう理解したベヌスもペンを置き、ノクトの方へ向き直る。 「どうした、改まって」 そう促されてわずかに目礼すると、大きく息をついてからノクトは切り出した。 「兄上は常々、自分に神格を譲るとおっしゃっていますが、闇神と闇の王、どちらが上に立つ存在なのでしょうか? 」 ノクトの言葉に、ベヌスはふむ、とうなずく。 卓の上に頬杖をつき思案することしばし、結論を導き出して、ベヌスは答える。 「上に立つと言うよりは、並び立つ存在と思っている。つまり、実務的な支柱が闇の王で、精神的な支柱が闇神だ。ようするにどちらが上に立つ、ということはない」 それがどうかしたのか、と話を振られ、ノクトはわずかに目を伏せる が、ややあって、今度はベヌスの目を真っ直ぐに見つめる。 「では、もう一つ。兄上は神格を移行する方法をご存知なのですか? 」 思いもよらぬ問いかけに、ベヌスは思わず数度瞬く。 なかなか返答が無いのをどう受け取ったのか、ノクトは淡々とした口調で更に続ける。 「よもや、先の即位式のように内外に宣言を行い、儀式を行えば良いと思っているのではありませんか?」 図星を付かれたのだろうか、ベヌスはその黒玻璃のような瞳を、僅かに泳がせた。 その様子を認めたノクトは、やれやれとでも言うように深々と吐息をもらす。 「この世の根幹を司るという闇の神格が、そう簡単に受け渡しできるはずが無いと、自分は思います。現に調和神アルタミラ殿は、何か思うところがあり兄上にそれを託した。そう思うのですが」 ノクトの言葉に、ベヌスは納得したようにうなずき、そして困ったように頭をかき回す。 「……仕方ある
闇の王の即位を祝おうと各所から集まった賓客達が帰って後、城下には静けさが戻った。 落ち着きを取り戻した中、ベヌスは以前にも増して政務に取り組み、ノクトは良くそれを補佐した。 そんなある日、いつものように執務机に向かっていたベヌスはふと顔を上げ、傍らのノクトに切り出した。 「一つ、相談があるのだが」 「城下町への視察でしたら、この間も申し上げた通り反対です。兄上におかれましては、もう少しご自覚を……」 紋切り型の返答に一つため息をつくと、ベヌスは首を左右に振り、そうでは無い、と反論する。 驚いたように数度瞬いてから、ノクトは改めて答える。 「では、砦の視察でしょうか? でしたらなおさら……」 「……だから、そうでは無い。吾をどう思っているのだ? 」 やや不服そうに言うベヌスに対して、ノクトは表情を動かすことなく返答する。 「隙あらば政務を放り出して、城から飛び出したいと常々思っておられるのでは?」 「確かにそうだが……いや、今は違う」 まかりなりにも即位した以上、誠心誠意職務に取り組む所存だ、そう前置きしてから改めてベヌスは切り出す。 「……闇神の神格の事だ。吾は今、闇神と闇の王を兼ねているが、これは問題があると思う。ついては神格をそなたに譲りたいと常々思っていたのだ」 そもそも神格は便宜上アルタミラ殿から預かったに過ぎぬ。 そなたが立派に成人した今なら、異を唱える者もいないだろう。 そのベヌスの視線を受け止めかねて、ノクトは思わず顔を伏せる。 しばしの沈黙の後、ノクトは重い口を開いた。 「身に余るお言葉、うれしく思います。……が、謹んで辞退致したく……」 「何故だ? 闇の元に塵芥から産まれた存在という点では、そなたも吾も何ら変わりはないではないか」 「では、光神殿はどうなのです? 光の領域の民を、側近と共に治めているではありませんか。ともかく、自分はふさわしくはありません」